体罰は本当にいけないこと?

2008-02-20更新
写真(その1)
私は子供が悪いことをしたときに手で叩く事がよくあります。ちょっとした事は口で注意しますが、何度言っても同じ事を繰り返す時はデコピン。激しい姉弟喧嘩の時はげんこつ。程度に応じて使い分けています。もちろん叱るつもりが怒るにすり替わっているときもありますけど。

辞書で
●「叱る」と引くと((目下の者に対して)相手のよくない言動をとがめて、強い態度で責める。「子供のいたずらを―・る」)と有ります。
●「おこる」と引くと(腹を立てる。立腹する。いかる。「真っ赤になって―・る」)
● 「いかる」と引くと(腹を立てる。おこる。「烈火のごとく―・る」)とでてきます。
つまり{おこる}と{いかる}は同じ意味で{叱る}は違うということがわかります。

最近は体罰が良くないということで学校では先生が子供を叩く事はありませんし、社会的にも体罰=暴力という雰囲気が強くなってきています。しかしそれだけで片付けることに私は不安を感じています。

家庭では多くの父親がそうであるように、殆ど家に居ない為に子供の実態を見ていません。当然叩くことは多く有りません。仮に叩いたとしても、普段接点が少ないのですから子供は叩かれたことに意味を見つけにくいでしょう。

母親は子供のことを長い時間見ていますからこどもに関して随分解っているはずですが、家庭での主婦は子育てをする母であり、家庭を守る主婦であり、稼ぎ頭の夫をサポートする妻であり、仕事をこなすキャリアウーマンであったりと、マルチにハードな状態ですから、子育てだけに専念してもいられません。当然ストレスも増して、小言も増えてしまいます。子育ては母だけの仕事では無いのにね。お父さんもっと家庭を顧みようよ。

(その2)
子供を育てることに関して私が良く言うのは、子供が小さなうちは動物と一緒だということ。 つまり悪いことは悪い、良いことはよい、メリハリを付けて表現するのが大事だし、躾は悪さの程度によって、叩くなどのストレートな表現をとるべきだということです。また上下関係もハッキリさせなくてはいけません。テレビなどでよく見かけますが、娘と対等で友達みたいな関係という母親を見るに付け、母親のエゴイズムが鼻について仕方有りません。「私は娘みたいに若いでしょ!」ってね。

子供は親の庇護の元でのびのびと育つのが良いけれど、感謝を忘れてはいけないし、親は子供に勘違いをさせないように親に養って貰っている未成年(半人前)であると理解できる教育をしなくてはいけないとおもいます。学校の勉強が出来るなんて言うことは食事の時に箸を綺麗に持てるのと同じ程度の意味しかないくらい小さな事だとおもう。箸を綺麗に持てなくてもごはんは食べられるし、生きて行ける。でも食事のマナーはとても大事で同席の相手に不快感を与えないような食事が出来て、相手と楽しく会話を交わせて、一緒に食事してヨカッタと思わせられたら最高。人生なんてそんなもの。そう考えてみるといつもの子育ても少し違った風に感じられるかも。

子供に対する体罰って、結局そこに愛があれば、あとは程度の問題なんだと思う。「飴と鞭」ではないけれど、子供にしてみれば普段からよく遊んだり仲良くしてくれる親が叱るから「ああ、自分はいけないことをしたから叱られたんだな」と理解できるのだと思う。学校の先生もふくめて、普段あまり自分に感心を向けてくれていると感じられない大人に叱られても反発するばかりで、そこに感謝なんて物は生まれないんじゃないだろうか。

(その3)
私が高校1年の春に山岳部に体験入学をした時のこと。健脚だったことを自慢にしていた私は、先輩部員達と一緒に道をどんどん進んで行って、パーティ(一団)が二つのグループに分かれてしまった。顧問の先生方は全員第2グループで、体力的に劣る人のサポートをしていた。そのことに対して気が回らなかった私と先輩数名は、競い合って先に進んでしまったのである。しかし、安全なトラックで競争しタイムを競い合う競技とは違い、1つ間違えると遭難や命の危険さえ考えられる山の中で、仲間を思いやりながら全員で安全に登りそして下りてくるのが登山である。
下山後、普段から割と口うるさくあれこれ言う先生が「おまえらな…」と言いかけたのを制して、普段一番温厚でにこやかな先生が、最初は優しく感心したように「おまえら早いなー」と言いました。我々が注目した瞬間に突然烈火の如く怒り出して、「全員一列に並べ!」と叫ぶなり端からげんこつをお見舞いされました。その痛かったことといったら、今でも忘れません。 もしも、を考えられなかった自分が悪いと言うこと、そしてそのもしもが起こったらどれだけ酷いことになったかを叱り、諭してくださいました。これが本当の意味での教育だと思うのです。

私は体罰は程度問題で、必ずしも悪いとは思っていません。体罰反対と声高に叫んだり。メディアで大きく取り上げられるのは、「叩かれたことは当然の罰だと思える人間関係」を築けない現在の状態が問題なのではないでしょうか。
物事を単純化すると問題点がわかりやすくなって良い側面もありますが、あまりにそぎ落としすぎると因果関係の背景を見落としてしまいます。「叩いた>傷ついた」の因果関係の他に見つめるべき点が有ると思います。
子供が小さいうちは、ほぼ動物のしつけに近い状態で、口で言っただけではなかなか解りにくいことも、デコピン1つで「これは悪いことだ」と伝えることができます。もう少し成長して身体的に頑健になればデコピンからげんこつに変わります。相手に伝わりやすくする為の手段としての体罰ですから口で伝わる様になってきたら口で注意します。それでも解らないときにげんこつが飛ぶ訳です。でも体罰はそこで終わってしまったら暴力ですから、フォローアップが重要です。「叩いたけれど私はおまえを愛しているよ」と解らせないと相手には不満や憎しみになって貯まるばかりです。その結果がテレビなどで見かける家庭内殺人や傷害事件です。 少し自分の行動を振り返って見つめてみようと思います。

(Chubachi) →プロフィールはこちら
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